AWANAの第一週目が無事に終わりました!!!
リーダーの私は、4歳児を4人かかえて今週のみことばを教えました。
・・・いえ、教えようとしたのですが・・・
グループはジェイクを含め、男の子3人に女の子1人。 女の子はおとなしく座って話を聞いてくれるのですが、男の子は難しい~~~!!!
私が話をしている最中に脱走したり、話をしているときに質問してきたりとかなり悪戦苦闘でした。 来週からはもっと彼らが興味を示してくれるように、プランをたてていこうと思います。
ある意味、子供のレベルでキリスト教を学べるということは、本当に幸運なことです。
これから30週間大変だな~とも思いますが、子供たちを通して人生で最も大切な教訓も学べるということは、言葉では表せない祝福だと思ってます。
さて、今週学んだのは、Key Verseとよんでいる、最も大切なみことばとクラブのモットーです。
Key Verseは、ヨハネ第一の手紙 4章10節です。
「...God...loved us, and sent His Son...」 神様は私たちを愛していたので、御子をおつかわしになった。
御子というのは、もちろんイエス様のことです。
このみことばは、本当はもっと長いのですが、3、4歳児が暗記できるように言葉を少し省略して、重要な部分だけ強調しています。
一番大切な教えは、人間が罪から救われるために、「イエス・キリスト」が神様の愛によって、地球に送られたという事実なのです。
みことばを学んで思ったこと:
クリスチャン人口が2パーセントを切っている日本で生まれた私にとっては、どうしてもクリスチャンの本質をつかむチャンスがなかなかありませんでした。(・・・というか、理解しようという動機がなかなか生まれなかったのかもしれません。)
イメージ的にクリスチャンを誤解している部分も多く、日曜日の教会通いは面倒だ~とか、誠実でまじめにふるまってる偽善的な人たちも多いんじゃないか?・・・とか、本当に低いレベルでしか理解していなかったのです。
現実で言うと、クリスチャンは一人一人みな違っているし、神様から見て「人間」としてはクリスチャンもそうでない人も全く同じなのです。 では、クリスチャンはどう違うのかというと、「クリスチャンは確かに、キリストを信じる者であり、キリストに従うものですが、神に愛されているからそれができるのであり、信仰自体、神に愛されている結果」なのです。(新クリスチャン生活百科Pg 25より)
生まれながら"文化的"な仏教徒であった私の経験から言うと、ある日突然、「神様すごい!神様大好き!」・・・という信仰心や神様に対する愛情は自然と生まれてくるものではありませんでした。(文化的・・・というのは、信仰心からではなく、習慣や文化の一環として仏教の中で生きていたということです。 正直、お寺で唱えられているお経も全く理解していませんでした。)
正直言うと、「食べ物に気をつけて健康を維持しなくては!」・・・と思うような、自分に対する「決心」により、私の信仰生活は始まったと思います。
「神様に従って生きよう。 究極の愛というものを信じて、イエス・キリストについて学んでみよう。」・・・という決心です。
そして、クリスチャン暦(たった)二年を経て今になって思うことですが、「愛が全てを救う」というフレーズを良く耳にしますが、キリスト教こそこのフレーズが一言で語られていると思うのです。
なぜなら、「神様」は「愛」だと、聖書が語っているからです。
私は、「愛の中で生きる」という決心をしました。 つまり、愛が神であるからこそ、神様と向き合って生きることを決心したということです。
そして、そのことを理解するために聖書を通して神様を理解することにしました。
でも、創世記で語られている「人は塵から創られた」こととか、「ノアの箱舟」を現実として、歴史の一部として捉えるのが本当に難しかったのです。 どちらかというと「神話」として理解してしまったほうがしっくりいく・・・。 でもここで頭を悩ませていても仕方がありません。
まずは、進化論を含め、何々論系の化学的に学んだことを全て頭の脇にしまいこみ、日本人VS西洋人の宗教というステレオタイプも、まずは忘れることにしたのです。(・・・と文化と人種で分けていたあたりが、スケールの小さい話ですが)
・・・とはいえ、今現在でさえ、「なぜ?どうして? ほんとにあったことなの?」という質問ばかりです。 それはそのはずで、全知全能の神の意思を人間のレベルで理解するというのは不可能なことだからです。 例えば、イエス様が水の上を歩いた話などを「そんなことあるはずないじゃん」と疑っていた自体が、神様の奇跡的な力を信じていない結果だったのです。 でも、その疑う心や神様に背を向けて生きることをやめ、「受け入れて学ぶ」ことにしたのです。
そうすると、解放した心を持ったせいか、私たちの周りにある全てのものが奇跡的な現象であることが分かってきました。 神様が私の目の前で、ゾウを一匹消し去るような魔法を見せる必要はないのです。
神様だけが実行できる、完璧すぎる方程式の中で生きていること自体が魔法です。
例えば、酸素があること。 水があること。 太陽があり光が注がれていること。 海と陸が分かれていること。 空に真っ白な雲が浮かんでいること。
命があること。
少しでも神様を知りたいという意欲が最も大切な要素で、その志を動機としてこれからも聖書を勉強していこうと思います。
少し長くなってしまったので、Cubbies Mottoについては別に投稿します。
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