神様が、私たち一人一人を同じように愛してくれているのに、
35年間もの間、神様のことを知ろうとせず、
神様のために生きようとしない自分勝手に生きていた私がいました。
自分が迷子であることも理解せず、
自分が盲目であることも実感せず、
ただ単に生きていました。
神様の愛を知らずに、
私は今までどうやって生きてきたのでしょうか?
いえ。私は生きていませんでした。
その事実に全く実感がありませんでしたが、
私は本当の意味で「自由」がなく、
避けられない「死」という究極の終わりを心の底で恐れながら
囚人のように生きていました。
私は今までどうやって息をしてきたのでしょうか?
神様の偉大な創造力を知らずに、
完璧に機能している体の一部一部に感謝することなく
生きていることが当たり前なのだ・・・と無意識に呼吸をしながら
神様が私に与えてくださった命のありがたみを感じることなく
一刻一刻を生きてきました。
私は今までどのように世界を見ていたのでしょうか?
神様の偉大さを理解してからは、
この世界の完璧さにただ単純に圧倒され、
美しい花や壮大な海を見ながら、
あまりの美しさに涙を流すようなことはいままでありませんでした。
私は今まで何を聞いていたのでしょうか?
閉ざしていた心の扉を開けば
今まで聞こえなかった神様の声が聞こえてくるのです。
美しい音楽も小鳥のさえずりも、
「聞こえる」というただ単純な事実に感動し、
静かな寝息を立てている息子のそばに横たわりながら
感謝の気持ちを抑えることができずに涙がただあふれてきます。
そんな単純に思える数々のことが、真の奇跡であったことを
やっと気づくことができました。
だからこそ私は、生きる目的を愛の中に見出して生きたいのです。
それゆえ神様無しでは、どのようにして愛を感じ、愛を語ることができるのでしょう?
神様は「愛」であり、そして「義」です。
神様の存在は、私の周囲あらゆる場所にあふれかえっているのです。
幼いころから、困ったときだけ一方通行に神様にお祈りを捧げていました。
神様のことを知ろうなんてこれっぽっちも思わなかったため、
神様の愛を感じるチャンスを自ら逃していたのです。
今ほど、あの名曲「Amazing Grace」の歌詞が心に響くときはないでしょう。
迷子であり、盲目であった私は、救いの光を見つけました。
神様、あなたが私という人間を愛してくださることを心から感謝いたします。
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