今日の投稿は、まず初めにクリエイティング・キープセイクス・ウィズ・シンプルスクラップブックス(CKwSS)の読者のみなさまへのお礼をさせていただきたいと思います。
CKwSS誌をご愛読して下さった多くのスクラップブッキング愛好者のみなさま、今までCKwSS誌を応援してくださり、誠にありがとうございました。
10月30日付けで配信されたCKオフィスジャパンのメルマガにて公表された通り、4年に渡って発刊されたCKwSS日本版が休刊になりました。
私は第三号から連載をさせていただいたので、ちょうど15回目の記事で私にとっての幕を閉じる事になります。
文才もない私に、アメリカ在住のスクラッパーということだけでこんな素晴らしいお仕事を与えてくださったCKジャパンのナオヤさん、そして、恥ずかしいほど浦島太郎化した私の日本語の文章を丁寧に校正してくれた編集長のヒキさん、そしてお会いできなかったデザイナーの方たちや、私の作品を丁寧に撮影してくださったカメラマンなど、私が知らない現場にて私の連載を支えて下さったみなさんにも、心から感謝しております。
この4年間の間CKwSSのお仕事では、本当にいろいろなことがありました・・・。
私がアメリカ版のCK誌を初めて手にしたのは、今から6年くらい前の2003年の7月号だったと思います。「こんな素敵なペーパークラフトがあったのか!?」と猛スピードでスクラップブッキングにのめりこんでいきました。
そしてその約二年後、「CK誌の日本語版が出版されるんだって!」という話を、お友達のスクラッパーから初めて聞いた時、「うわー! すごいすごい!」と心が躍りだすような気分になったのを覚えています。
思い出深いお仕事は沢山ありますが、一番印象深いイベントは第一期CKUジャパンのスタッフとして参加できた事だと思います。 私にとって長年の夢だったCKUの参加は、「息子が3歳くらいになるまで無理だろうな〜」と諦めていた矢先に、思いがけない幸運として突然決まった出来事でした。
2006年に開催された第一期CKUジャパンは、偶然にも私の本職の出張と同じ週に行われました。
しかも、出張目的であった展示会が終わった翌日がCKU初日ということで、これ以上の絶妙なタイミングがあっていいのか!?と思うような日程だったのです。
そして私が書いた初めての原稿の初校は、2006年10月に開催された第一期CKUジャパンの前夜に、ヒキさんから手渡されたのを思い出します。
あの時の私は、自分がCKUのスタッフとして豪華な講師陣たちと同じ部屋に一緒にいる!という高揚感に加えて、初めての初校を手にした興奮で、ものすごくテンションが高くなっていたのを覚えています。
CKUで通訳を勤めさせていただいた、当時の米版CK誌編集長だったトレーシー・ホワイトさんとの出会いを期に、私の中のスクラップブッキングというものが劇的に変化しました。 私にとってSB人生のターニングポイントであったことは間違いありません。
何が変わったかというと、スクラップブッキングを通しての人とのつながりを強く意識しながら仕事ができるようになりました。
寄稿編集者として記事を書いていた自分を振り返ってみると、心の奥ではライター兼SBアーティストとしての自信を持てずに悩んでいる私がいました。 CKwSSで活躍なさっているアーティストのみなさんは、日本のSB界ではフロントラインに立って活躍している方々です。 その中で、講師活動もせず、ずばぬけて光るようなSBの才能を持っていない私が、「ミックのアメリカレポート」ではどんなことを読者のみなさんに伝えていけばいいのだろう?と不安に陥った事が何度もありました。
私のような人間になぜこのような大役が・・・?と考えることが多かったです。そんなときはトレーシーさんから学んだことを思い出し、最終的な答えとして「SBによる人のつながりの素晴らしさを伝える」という原点が見えた事が、大きな力となったのです。
「何かを伝えたい」という神様が私に与えて下さった表現力を、このような形でCKwSS誌を通して読者の皆様とシェアすることができたことは、私にとって宝物の1つとなったことは間違いありません。
私にとってのCKwSSというチャプターはここで区切りができました。 それは悲しくもあり寂しいことなのですが、私の人生の大切な節目として次に始まる新しいチャプターに向けて精一杯頑張っていこうと思います。
CKwSSの休刊が決定し、心温まるメールをくださった皆様、今まで応援していただき本当にありがとうございました。
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