悲しすぎて寝れない夜なんていつが最後だったか覚えてない。
仕事が終わるちょっと前に携帯に入ったハワイの番号。
誰かと思ったらケニーだった。 最後に話をしたのがいつだか覚えていないくらい久しぶりだったので、嬉しくて嬉しくて踊った声で話始めたら、一瞬で私を黙らせた悲しいニュース。
私のアメリカの兄と呼んでいた、尚ちゃんが日本時間14日、10時01分に昇天してしまった。
癌との闘病生活に解放され、もう痛みも悲しみもない場所へ旅立ったけど、残された家族や友人の私たちには、ぽっかりと大きな穴を残していったのは確か。
まだお母さんも健在なのに、50半ばで、逆縁の不幸だなんてだめだよ、尚ちゃん。
次はジェイクとルークに会わせるはずだったのに。
ブンも泣いて落胆してるよ。
ニュージーランドのお家を見せてくれる約束だったでしょう?
悲しくて自分勝手なことばかり言わせてもらうけど、
若すぎるよ、尚ちゃん。
日本を建て直すために、募金の他になにができるんだろう? どうしたらいいんだろう?とずっと考えていました。 周囲から、「今はとにかく心を安静にして出産にのぞむことが大切」といわれ、今の自分の状況が行動的になれる時期ではないと分かっているのですが、どうも気持ちが落ち着きません。
地震が始まってから、夜のお祈りではジェイクと一緒に日本のことを祈っています。 私が最も感情的になるのは、どうしても就寝直前です。
気候の素晴らしいサンディエゴで、自分たちの家の中で、暖かいベッドの上で眠りにつこうとしている私たち。 深刻な食料や灯油不足に加え、厳しい寒さの中お腹を空かせている被害者の人たちを考えると、罪悪感やストレスが一気に押し寄せてきます。
なので、寝る前にジェイクともいろんなことをじっくり話すのですが、6歳になったジェイクは今回の地震については、ハイチのときよりもしっかり理解しているみたいです。
テレビで悲惨な状況を見ているとき以外も、学校から帰宅途中車の中でブンちゃんにぽつりと「I really hate what happened to Japan...」とつぶやいたりするそうです。 ジェイクはまだ幼い子供なので、上手に時間をかけてこの事態を教えていきたいと思いました。トラウマではなく慈悲心を持って、そして半分日本人の血が流れている息子が日本という国に誇りを持ち、将来何らかの形で力になれるように、この事態に向き合ってほしいと切に願ってます。
募金活動は、今だけでなく長期的に実行していこうと思います。
そして、祈りのパワーを忘れずに、今一番できること。 それは日本のために祈ることです。
私がよく読んでいるブロガーさんのサイトにリンクしてあったツイッターのつぶやき集。
読んで号泣しました。
http://prayforjapan.jp/message/
この経験はしっかり書き留めておこうと思いながら、なかなか心落ち着かせて書き終えることができずに、今に至ってしまいました。
1月10日の朝、私は本当に不思議な体験をしました。
10日の朝は、陣痛を抑えるマグネシウム治療が終わったばかりで、極度の寝不足とこの上ない頭痛でかなり体が弱っていたと思います。
点滴治療が終わり、針を腕から外され、頭痛薬をもらってやっと落ち着いて眠りにつこうとしていたときでした。
眼を閉じて少しリラックスしたときに、頭の中に桜色の空間が広がったようなイメージが浮かび上がってきました。 その空間の中に、プロジェクターのように映し出されたのは、超音波検診でみるようなモノクロの赤ちゃんでした。
なんとか赤ちゃんの姿をはっきり見ようとじーっと見つめたとき、楕円形の窓のようなものが現れて、赤ちゃんの顔を実写ではっきりと写しだしたのです。 桃のようなふっくらとしたほっぺたの赤ちゃんでした。
その瞬間、私ははっきりと聞いたのです。
「I chose you to be his mother.」
その深く優しい美声が聞こえたとき、閉じたままの私の両目から涙があふれるように出てきました。
そして私は、声を出して「Thank you... Thank you God...」と何度も神様に感謝しました。
正直、次男の妊娠中はジェイクの妊娠中と全く違った経験です。 ジェイクの時は初めての妊娠だったので、妊娠のプロセス一つ一つにじっくり向かい合って、産まれてくる我が子を夢見ながら妊娠期間を過ごしたと思います。
でも今回は、アクティブな6歳児が家の中にいて、育児に追われ、仕事と家事をし、心の余裕がないというか、赤ちゃんとクオリティータイムを過ごしてなかったような気がしました。
なので、入院中はずっと横になりながら、何も考えずにひたすら赤ちゃんの胎動を感じる時間を与えてもらったので、妊娠して初めて赤ちゃんと二人っきりのクオリティータイムを過ごすことができました。
とにかく、命って素晴らしい・・・と思わずにはいられない体験でした。
入院中はいろいろなが不安で、顔のじんましんも再発。 退院してから5日ですが、すっかり良くなりました。
もしかして急な出産になるかも?と考えただけでものすごく不安でしたが、今はもう心の中はかなり平穏な状態です。
How is my heart?
Question 1: Full or Empty?
Answer: Full
Question 2: Hurting or Happy?
Answer: Happy
Question 3: Anxious or Calm?
Answer: Calm
Question 4: Disturbed or Peaceful?
Answer: Peaceful
Question 5: Grateful or Greedy?
Answer: Grateful
Thank you Lord for keeping your arms wrapped around me.
お祈りには色々は種類があります。 神様への賛美、告白、ざんげ、願いなどですが、自分以外のために祈る「とりなしの祈り」があります。
私は今日、1時間のお祈りをある人に捧げました。 正直、クリスチャンになってからも1時間お祈りを続けたことはありませんでした。
朝一番に、霧が覆う教会に到着したときは、その様子は神様が穏やかなベールで建物を守ってくれるように見えました。
今日は教会一同がパスター・ハリーが癌を克服できるように24時間のお祈りを捧げる日です。
教会にとって、最も大切なイベントであるクリスマス礼拝の前にパスター・ハリーが入院になり、「どうして?」と神様に問わずにはいられませんでした。 でも、静かに教会で60分の間に祈りを通して神様と会話しながら、この機会で個人が、教会のコミュニティー全体が大きく成長していることを自覚することができました。
手に持っていた聖書を開いてみると、詩篇のページが現れました。
「ああ主よ、この祈りを聞いてください。 王である神様、私の嘆きに耳を傾けてください。 私は神様以外だれにも、決して祈ったりしません。 朝ごとに、天に折られる神様を見上げ、御前に願い事を申し上げ、ひたすら祈ります。」 詩篇 5:1-3 (リビングバイブル)
祈りの部屋には、私以外に6人ほどの教会メンバーがいました。 でも、この少人数の祈りから感じるパワーもすごかったです。
Prayers:
For the health and speedy recovery of Pastor Harry.
For his family to feel God's strength and encouragement.
For the member of our churge to draw closer as a church family.
To acknowledge God is soverign in all things.
最近アリ・エドワーズさんのブログもぜんぜんご無沙汰してるのですが・・・。 きっと彼女は今年も実行しているはず・・・と思って見に行ったら、HPも新しくなってました!あとでゆっくり見なくちゃ!
というわけで、私も昨年に続きクリスマスまでのカウントダウン始めます。 このテンプレートはジェシカ・スプレイグさんが確か2007年に配布したものです。 ちょっと古いのでダウンロードのリンク先が分からないので大変申し訳ないのですが、以前彼女の古いブログで配布されていたと思います。
今日ジェイクの学校は、ホリデー・ドレスアップ・デーの日でした。 昨晩ターゲットにジェイクと二人で買い物しに行きました。 2008年のクリスマスにレイニーにもらったジェイク専用のクリスマスツリーの上に飾る星を買いに行く約束を週末にしたのですが、結局実行できなかったので昨晩ついに強制的に連れて行かされました。
そのときに、「あ、明日学校にサンタの帽子をかぶっていかなくちゃいけないんだった!」とジェイクが思い出し発言。 そういえば、先生からのメールでそんなこと書いてあった!!!・・・と二人で慌ててターゲット内を探したのですが、信じられないことに見つからなかったのです! 天下のターゲットですよ!!!???
仕方がないので、帰り道にHome Depotに寄りました。 なぜこの店かというと、数週間前にブンの買い物に付き合ったときに入り口付近でサンタ帽子、トナカイのカチューシャ、エルフの緑のフェルト帽子などを見ていたのを思い出したからです。
でも、さすがに在庫が少なくなってて、かろうじて子供用のサンタ帽子を$4でゲットしましました~~~
そして、今日はジェイクが首をなが~~~~~くして待っていた、レゴ・アドベント・カレンダーの解禁日です。 去年から始めたこのカレンダー。 今年も私たち親たちも一緒になってジェイクと楽しみに開けてます。
今日のみことば
1 John 4:16
We have known and believed the love that God has for us. God is love, and he who abides in love abides in God, and God in him.
神様は愛です。
今週末はB君のお父さんに誘われて、子供向けセルフ・ディフェンスのクラスに行きました。 セルフ・ディフェンスとは、直訳すると自己防衛なのですが、ジェイクが受けたクラスは身体的な防衛だけでなく、いじめなどに対しての精神的な防衛の仕方を、子供たちに分かりやすく教えてくれる内容でした。
よく、同僚とも話しているのですが私たちが住む世の中は本当に荒々しい。 私たちが子供のころは、自転車に乗って隣町まで遊びに行ったりして、従姉妹が通う学校はアスレチックフィールドみたいな場所が学校裏の林の中にあって、そこで暗くなるまで遊んでいました。 中学生になったら、電車での遠出が許されたので、町田まで友達と買い物に行ったり、中学2年生になったときは初めて東京ディズニーランドまで行ったっけ。 それよりも、夜遅くまで塾通いしていたことも今では信じられないです。
通信技術の発達により良いニュースも悪いニュースも瞬時に知ることができるようになったからなのか、私たちが子供のころよりも世の中はかなり物騒になった気がしてなりません。 B君のママが、先日こんなことを言っていました。「ねえ、知ってる? 私たちの世代の親は、『ヘリコプター・ペアレンツ』って呼ばれてるんだって。 常に子供の頭の上を巡回して見張ってるヘリコプターのイメージなんでしょうね。」
さて、ジェイクが受けたこのディフェンスのクラスですが、インストラクターたちが子供たちに何度も言っていました。「全てのストレンジャー(見知らぬ人、他人)が悪い人じゃないの。 でも、どんなに優しい見た目の人でも悪い人なのかどうかは分からないの。」
子供たちの世界では、白黒ははっきりしています。 たとえば、インストラクターが見せた何枚かの写真。 モデルのシンディ・クロフォードの写真を見せながら、「この人はいい人かな? 悪い人かな?」という質問に対して、殆どの子供たちが「いい人!」と応えました。 どんなに優しそうな人でも、知らない人であれば親の承諾なしでその人にはついていってはだめだということを、子供たちにしっかり言い聞かせます。
例えば公共の場で迷子になった場合。 「どうしたの?」と優しそうな大人に声をかけられたら、きっと不安な子供たちはその人についていってしまうことでしょう。 そんなときは、決して二人きりにならないで、お店だったらキャッシャーまで一緒に行ってもらい、親に電話してもらうようにする・・・など、できるだけ警戒心を緩めないように、自ら迷子から抜け出す解決策も作っていくように指導します。
いじめに対しての構えも、「なるほどねぇー」とうなずきっぱなしの情報満載でした。 正直、いじめは殆どの人が経験することだし、いじめにつぶされないような精神を鍛えるのも大切ですが、対処法によって自分でシチュエーションをコントロールしていくように教えます。
クラス後半は、誘拐犯や変質者に遭遇した場合のシミュレーションで、どこを蹴ったり殴ったりするのが効果があるかなどを実践しました。
B君のお父さんとも話していたのですが、このクラスは「年に1回受講しよう!」と決意したほどよかったです。
Play It Safe Defense のウェブサイトはここです。
http://www.playitsafedefense.com/
昨日はAWANAの日だったので、教会に向って運転をしていました。
そのとき目に入った美しいいわし雲に息を呑みました。
思わず車内(独り)で、「神様ありがとう~~~!!!」と叫んでしまったほど。
周囲にある美しい神様の創造物、感謝せずにただ見ているだけでは本当にもったいない。
さて、AWANAが終わってジェイクと一緒に車で家に向っていました。
「ジェイク、今日ね、AWANAに行く途中空がものすごく綺麗だったんだよ。」というと、ジェイクが一言。
「マミー。 (その綺麗な空は)神様がつくったんだよ。」
その純粋な一言に、本当に心打たれました。
美しい自然に対する感謝を忘れない心を持つと同時に、何よりも神様を愛する気持ちを育んでもらうことが、私が何よりもジェイクの成長の中で望んでいることです。
"In eternity, you and I will be God's trophies. We are the trophies of his grace; the trophies of Christ's death, burial, and resurrection; the trophies of the Holy Spirit's work in our lives. Our purpose is to bring him glory. Our greates glory lies not in what we can achieve and do on our own, but solely in what we allow the Lord to do in our lives so that we gring him glory. We can never know greater satisfaction or have any greater acclaim than to lay our crowns at his feet and to be presented to him as a work in which there is no shame, fault, flaw, or darkness."
-The Blessings of Brokenness by Charles Stanly
最近のコメント