ジェイクが二年生になってからは、噂通りだんだん宿題が大変になってきました。
会社から帰ってきてから、夕飯を急いで食べてすぐにジェイクの宿題のサポートをします。ここ数日は、9時過ぎても読書を一緒にしたりして、ジムにも行ってません・・・(ジムは10時に閉まってしまうので。)
本当はブンちゃんが夕食前にジェイクの宿題をみてくれると助かるのですが、私の帰りが遅いので彼は仕事の後、ジェイクの習い事の送迎をし帰宅後すぐに夕食の準備を開始します。ルークはまだまだ手がかかるので、誰かがきちんと見ていないと危ないので、ブンが夕食の準備をしている間、私が帰宅するまでルークと遊ぶのがジェイクの役目。なのでジェイクは、夕食前に宿題を済ますという習慣をなかなか身につけることができません。 学校から帰ってからブンが迎えにいくまではおばあちゃんの家で公文を終わらすのが精一杯。 公文自体は5ページしかやらないので、10分ほどで終わってしまうのですが、さすがにおばあちゃんの家で宿題を自らみっちり頑張るというのは無理みたいです。
親としてもっと教育熱心になったほうがいいのかな?とふと思うときがあるのですが、そういうときは自分がどういう育児をしたいのか見つめ直すことにしています。
私の育児はこうです。
まず、自分が子供に一番望むことを確認します。
それは神様を愛する心を持ってもらうこと。
その心があれば、きっと神様は私たち一人一人にそれぞれの才能やチャンスを与えてくださっていることを理解し、そのことに感謝する心を忘れないでほしい。
そして、自分に与えられた才能やチャンスの中で、神様が与えてくれた人生の目的を見いだしてもらうこと。 それはきっと大変な試練だけど、少なくとも常に神様を信じながら自分が生きる目的を模索していって欲しい。
どんな職に就こうとも、神様を通して自分を信じ何事も一生懸命に、真摯に、正直に日々の職務を全うし、一日の終わりには大切な家族のもとへ帰り、愛と笑いの耐えない家庭を築くこと。
そして、自分にもう一度問い直します。
息子達に何を教えて育てたいか、何が私たちが望む「教育」なのか。
日曜日の夜、ジェイクが胸が暖かくなるコメントをしてくれました。
礼拝は神様が与えてくださっている「お金」についてのメッセージでした。 子供達も日曜学校では、大人達と同じトピックについて話をするので、おそらくジェイクも「お金」について学んだのでしょう。
教会の後に仲良しのお友達のお家に遊びに行った帰り道、ジェイクが質問してきました。
「ねえ、僕たちの家って小さい?」
私たちは小さいコンドミニアムに住んでます。 仲良くしているほとんどの友人達の家は、私たちのコンドの倍近い大きさの一軒家なので、お友達の家を発った後、自然とジェイクはそう感じたのでしょう。
その質問の後、すかさずジェイクがこんなことを言いました。
「でもさ、僕たち家族が住める家があるっていうのが何よりも大切なことだよね。」
私が「そうだね。神様に感謝しなくちゃね。」というと、「本当だよ。だからボクは神様が大好きなんだ。」と言いました。
まだまだ幼い子供の純粋な心を持っていることを証明してくれる、私の心も洗われるような素晴らしい息子との会話でした。
親ばかであることは充分承知ですが、こんなジェイクの一面を見るたびに、私たちは教育熱心な育児をしていると誇りを持って言うことができるのです。
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